性嗜好障害 治療の今後について

1.性依存症と性嗜好障害の違い

特定のパートナー以外との性行為がやめられない、借金をしてでも風俗に通ってしまう、性犯罪を繰り返してしまうといった人たちは性依存症と呼ばれています。実際には性依存症という概念はICDやDSMといった国際的な精神科診断マニュアルには採用されておらず、疾患として存在しません。アルコール依存症や薬物依存症などの物質嗜癖の病態を参考に作られた、いわゆる俗語です。しかし世間一般ではこの概念はむしろメジャーであり、しばしば芸能人がワイドショーを賑わしています。

一方で、性的な問題行動において疾患として診断基準が存在するものは性嗜好障害と呼ばれ、盗撮、痴漢、下着の窃盗といった性犯罪はこれに該当します。依存症の診断基準にある「コントールできない」「量や頻度が増える」「禁断症状がある」といった内容は必ずしも必要でなく、厳密には依存症とは区別され、ICD-10では『F63習慣及び行動の障害』とは別に分類されています。

性的な問題行動に対する治療を始めたばかりの頃は、当院でも性嗜好障害を性依存症と同じ依存症として扱ってきました。しかし徐々に性に関する相談が増える中で、前者は後者とは別に扱うべきではないかと思うようになりました。特に、性嗜好障害に該当する問題行動はほとんどが性犯罪であり、明確な被害者がいます。性依存症の場合は、ホストクラブや風俗に繰り返し行ったとしても、それにより借金ができたとしても、その行為自体は明確な犯罪行為ではありません。一方の盗撮、痴漢、下着の窃盗といった性犯罪には同意無く性の対象として扱われた被害者がいます。その精神的・身体的・社会的影響は大きなものであり、前者との違いはこの点にあります。このように私の性犯罪の治療に関する考えは大きく変化しました。

2.二次被害とは

性犯罪の被害者はそのときの被害体験だけでなく、後に二次被害を経験することがあります。二次被害とは、警察などの捜査機関、司法機関や医療機関、マスコミや報道、近隣や職場など、周囲からの心無い関わりによって生じます。例えば、手続き上事件について話すことを強いられたり、周囲の好奇心から当時のことを聞かれたりすれば、その度につらい事件を思い出します。「いつまでそんな落ち込んでいるんだ」「あなたにも悪いところがあったんじゃないの」といった周囲の誤った声掛けも同様です。中には一見励ましのように思える言葉もありますが、実際には被害者をより落ち込ませてしまったり、自責的にさせたり、無力感を強めたりと、精神的に追い込んでしまうことがあります。

また、二次被害はこういった直接的な関わりによるものだけではありません。「私が知らない所で、加害者が私について話をしているのではないか。自分の個人情報が漏れているのではないか」という見えない不安もまた、二次被害として被害者を苦しめます。そしてこれは被害者本人だけでなく、被害者が未成年である場合にはその両親も同様です。例えば、自分の子どもがわいせつ行為の被害者となったとします。両親としては子どもの将来のために、被害者であることが特定されないように気を遣って生活を送ろうとします。しかし、もし加害者が被害者に関する情報を話してしまったら(事件の詳細など)、もしその情報が近所に漏れてしまったら、悪意のない被害者探しが始まるでしょう。最悪の場合は転校するために引っ越すか、あるいは引っ越せずに周りの目を気にしながら暮らしていくことになるかもしれません。

そのために、警察や裁判所の間ではこういった二次被害への配慮を進めてきました。過去には、女性の被害者に対して男性警察官が何度も質問を行なったり、裁判では被害者に証人尋問のためプライバシーに配慮することなく出廷を求めたりと、被害者への精神的ダメージをあまり考慮せず、とにかく加害者を逮捕し罰することに重きを置く時代がありました。しかし、被害者のメンタル支援を重視する流れに代わり、現在では女性警察官が必要最低限の質問を行う、名前を隠す、出廷の際に付き添いをつける、遮へいをする、ビデオリンクを用いるなど、様々な対策で被害者の精神的負担を軽減するようになりました。これに比べ、残念なことに加害者治療を行なう支援領域はこの点において大きく遅れています。

強迫的性行動症

3.性嗜好障害を治療する上で大切な条件

1で述べたように、性的な問題行動を行なうグループにはいわゆる性依存症と呼ばれるタイプと性嗜好障害と診断されるタイプとがあり、後者においては被害者が存在するため、治療の際には二次被害が生じないよう配慮する必要があります。ところが、実際には以下のように対策は進んでいません。

第一の問題点は自助グループです。古くから、依存症治療の1つとして自助グループが推奨されています。自助グループとは、「言いっぱなし聞きっぱなし」のルールのもと、同じ依存症の当事者が集まって自身の体験や考えを話すことで、共感や安心感を得る、病気や自分に対する理解を深める、やめ続けるためのノウハウを学ぶなど、回復のためのサポート資源になるものです。確かに、アルコールや薬物といった依存症では治療効果を発揮してきましたし、性依存症の人にとっても回復の一助となってきました。しかし、性嗜好障害の場合はそうではありません。自助グループではグループ以外に話題を持ちださないというルールがありますが、数十年の実績のあるAAでも、たとえばミーティング後に「誰々が飲酒して死亡した」といううわさ話が流れ、当の参加者は「私は10回AAで殺された」というジョークを言ったりします。人は必ず約束を守るとは限らないようです。
また、クローズミーティングといっても氏名や住所を確認するわけではありませんし、中には病識のない参加者もよくいますが、こういった多様な人が参加することで自助グループは成り立っています。極端な話、悪意を持った人でも依存症者本人と偽り参加を希望すれば入れてしまいます。要するに、自助グループは参加者一人一人の身分や参加動機の確認に甘く、それでいて自分について正直に話すことを求める自主参加型の集会なのです。参加者が全員対等な関係性にあるため、参加者の一人が被害者について話し始めたときに止められる権限を持つ人がいません。「被害者の詳しい話はここですべきではない」「その情報は不要だと思います」と注意できる権限を持つ人が不在なのです。そのまま放置しておけば、最悪被害者のプライバシーの話にまで進んでしまうかもしれません。例えば、性犯罪を行う人の中には知的障害や発達障害を合併している人がいますが、自助グループでは診断ができません。こういった人の傾向として、善悪の判断が難しい、共感性が乏しくどこまで話してもいいのかわからない、衝動を制御することが難しく話し出すと途中で止められないなど、自力で自分を抑えることが苦手なところがあります。止められる人がいないということは、このようなリスクを伴うことでもあります。また、自助グループの中で実際に話をしなかったとしても、加害者治療がこのような形で行われることもあるということを被害者が知れば、「回復のためという名目で自分のことを話すのではないか、自分が被害者であると他人が知ってしまうのではないか」と不安に思うようになるかもしれません。これは立派な二次被害であり、被害者やその家族の心情を思えば避けるべきでしょう。

では、全員が平等な関係性をやめ、指導される側とする側という関係性になれば安全なのでしょうか。つい先日、性犯罪加害者の更生支援を行う法人団体の代表が性犯罪を行い逮捕されたという事件がありました。

■朝日新聞DIGITAL(2021/7/28):
https://www.asahi.com/articles/ASP7W544PP7NPTIL00Z.html

この代表は自らも過去に性犯罪で服役しておりますが、その経験を基にリカバリー的立場として再犯防止を目的とした更生施設を立ち上げたのです。代表は自らの回復の道を利用者に示す立場であり、ここでは上下関係があります。しかし、この事件でわかるように基本は上下関係があっても上の人間がしっかりしていないとだめです。それだけでなく、そのような人の暴走を周囲の人も止めなければいけません。今回の事件が特殊だったから起きた問題なのかというとそうではなく、(もちろん全てのダルクに当てはまるわけではありませんが)ダルク等でも職員がスリップすることはよくあり、珍しいことではありません。では資格を持った医師が治療すれば良いのでしょうか。残念なことに、医道審議会(医師免許を持つに適切かどうかを判定する国の組織)に精神的問題によって医師免許をはく奪される医師は後を絶ちません。最近は性的問題を起こす精神科医に注意するようにといった話も出たことがあります。どうも医師だから合格ということではないような気がします。では、医師は技術者だからだめなのであり、人格者である牧師さんならどうでしょうか。牧師さんの名誉のためにことわっておきますが、大多数の牧師さんはこのことと関係ありません。しかし、牧師さんが子どもの信者に対し性的な虐待をくり返すことが後を絶たず、世界中の牧師さんに対しローマ法王が繰り返し通達を出していることも事実です。ではどうしてこのようなことが起こるのでしょうか。医師が勤務する病院も牧師さんが働かれている教会も資格等がないとそのような立場にはなれず、たとえなったとしても一定の条件で認められた組織内で相互に監視があるはずなのです。その上でこういった問題が後を絶たないのであれば、組織内の相互監視では限界があるということでしょう。

そこで、第三者の監視・監督を導入することを2つ目の重要な要素として考えます。指導する立場の者の行いを外部から客観的に評価していれば適切な治療環境を維持でき、何か問題点が見つかったときには速やかに介入し改善指導を行えます。このために、組織内の相互監視レベルでは不十分であり、これだけでなく一般社団法人にも一般的な監査はあると思いますが、それ以上にきっちりとした特殊でしっかりした監視体制が必要になるでしょう。ではこのような条件を満たせば十分なのかというと、私は他にも大切な条件があると思っています。裁判を考えてみてください。裁判官は資格があり裁判所も国が認定しています。裁判中にトラブルが起きれば控えている警備員が駆け付けます。このような完璧と思われる裁判でも、被害者は裁判に出席することを嫌がり、躊躇します。それでも裁判は行われます。これは、裁判を行なう上で多少問題があったとしても一定の条件は満たしており、必要かつ信頼できるものであると社会が認めているからだと思います。

最後の条件はこの「社会から必要性を認められ」かつ「社会から信頼される」ということであり、最も大切な条件であるとも思います。30年前に私が精神科のクリニックを開業したときには「精神病は危険だ」という偏見が強く(実際は犯罪につながる可能性は高くないのですが)、私自身もしばらくはクリニックのパンフレットに精神科という言葉を使えませんでした。しかし、現在はどこの駅前にも精神科クリニックが当たり前にあり、開院するにあたって周囲から反対されることはありません。こうなるまでにはそれなりの時間と努力を要したと思います。精神疾患とはいえ性嗜好障害の多くは犯罪であるため、精神病の偏見を取り以上に難しいことと思います。これに失敗すると、海外では性嗜好障害の患者が一生退院できない病院に閉じ込められることもあるようですが、日本でもこのようなことが起こるのではないかと不安になります。たとえ時間がかかっても社会の同意を取ることは大切と思います。

4.今後の動き

既に述べたように、性的な問題行動には性依存症と呼ばれるグループと性嗜好障害と診断されるグループとが存在します。ところが、この10年以上精神科で使用されている診断基準(ICD-10、DSM-5)においては性嗜好障害という診断名しかなかったため、性依存症と性嗜好障害とを明確に分けることができず、同じ治療方針とするしかありませんでした。このせいでどちらも同じ疾患であると誤解され、治療方法も同じで良いだろうと安易に判断されることになりました。しかし、性嗜好障害の患者を自助グループに参加させることは被害者やその家族にとっては大きな問題であり、社会内で治療することに対する信頼を損なう行為とも考えられます。

このような流れの中で、2019年正式に承認されたICD-11では新たに『強迫的性行動症』という診断概念が追加されました。これは性嗜好障害とはみなされない性的な問題行動が強迫的に繰り返されること、性的衝動のコントロールが困難になることで日常生活に支障をきたすことが特徴であり、まさに性依存症と呼ばれるグループの病態像と合致する概念です。この診断名が実際に日本で使われるようになるのは2022年以降ですが、これを機に、当院では今後は性犯罪を性嗜好障害、性依存症を強迫的性行動症と明確に診断名を分けることにしました。そして、性嗜好障害に対してはプライバシーに厳密に配慮した治療を、強迫的性行動症には従来の依存症の治療を、と治療方法を区別していきたいと考えます。

本人が来たがらない場合

まずは対応を相談するためにご家族が受診してください。性嗜好障害・性依存は家族とのコミュニケーション次第で問題行動は悪化も改善もします。本人との関係性が改善すれば治療に繋げる機会も増えるので今すぐご相談してください。