20代 女性

薬(覚せい剤)を使いはじめた10代の頃の私には、薬がいけない物だという認識はありませんでした。当時好きだった男性に勧められたのが最初のきっかけです。その男性といっしょに興味本位で使い始めたのですが、あっという間に薬の虜になり、止められない状態になっていました。逮捕されて刑務所に入るまでも、あっという間でした。 刑務所の中では毎日薬の話があり、もう嫌で2度とするまいと思いました。逮捕された女性の70%は再逮捕されると聞き、自分はそうなるまいと思っていました。

しかし、出所したら早速携帯に電話がかかってきて、あっという間に気持ちが変わってしまいました。刑務所から出た後、自宅に戻った私に両親は薬物依存症の治療を勧めてきました。私はもう刑期を終えてきたから治療は必要ないと拒絶し、私を信じて欲しいと涙して訴え、両親の望みを跳ね除けました。その後、両親に隠れて昔の仲間とつるみ、再び薬に手を出し、そして再度警察に逮捕されました。薬の売人がまず捕まり、芋ずる式に仲間が捕まり、私も逮捕されました。 私が刑務所に居る間に父が他界しました。私は父が50才の時に生まれた子供で、父は私のことを溺愛してくれました。いつも私を尊重して信じてくれた、そんな父を裏切り続けていたことに、父からの最後の手紙で気付きました。「今度刑務所を出たら、薬のない人生を歩んでほしい。薬をやめることは難しいことなのかもしれないが、きっと貴女ならできる。そして幸せな女性になってほしい。そのために治療を受けてほしい…」と記されていました。「薬をやめなければ…。やめよう…。やめたい…」という気持ちが強くなりました。

刑務所を出た後、父が調べてくれていた大石クリニックを、初めて受診しました。やめたいという気持ちはあっても、「やめ続ける自信は?」と聞かれると、とても不安で何も答えることができませんでした。しかし毎日通院して、実施される尿検査の結果を見ると、「私は使わずにいる。薬に手を出さずにいるんだ!」と自信がついていきました。断薬が安定してから、就労するために「わくわくワーク大石」を利用しながら、ヘルパーの資格を取ることができました。

いまは、老人デイサービスでヘルパーとして働きながら、母と一緒に平穏に暮らしています。

ご家族より

私の娘が、薬物に手を出したことを知ったのは、10年近く前のことになります。「ただの若気のいたり」「男にそそのかされたから」と、娘の問題として受けとめず、娘の環境、周りのお友達が悪いと思っていました。

私達夫婦にとって娘は、あきらめた頃に授かったので、命にかえても構わない存在でした。私は、娘の薬物問題を隠し通せるなら隠したいと思っていましたが、夫は違っていました。夫は娘を医療機関につなげて治療を受けさせ立ち直らせたい気持ちでした。娘が逮捕されて刑に服している間、夫は娘の回復の場を探しており、大石クリニックの家族教室に夫婦2人で参加を始めました。家族教室に参加していく中で、今まで娘に対してしていたことが、娘のためにはなっていなかったことに気付かされました。自分のしてきたことを悔いて、家族教室にいくことが嫌だなと思ったこともありましたが、家族教室にいくことで、自分自身が楽になっていくことの方が多く、今日に至っております。

娘の服役中に、夫は他界しました。今思うと、夫は娘だけでなく私の居場所も見つけてくれたように思います。現在、娘も大石クリニックに通っています。

神奈川県から薬物依存症の「依存症専門医療機関」 として選定されました

依存症専門医療機関とは、依存症に係る所定の研修を修了した医師等が配置され、依存症に特化した専門プログラムを行うなど、依存症に関する専門的な医療を提供できる医療機関として、当院が神奈川県から薬物依存症の専門医療機関・依存症治療拠点機関に選定されました。

本人が来たがらない場合

まずは対応を相談するためにご家族が受診してください。薬物依存症は家族とのコミュニケーション次第で問題行動は悪化も改善もします。本人との関係性が改善すれば治療に繋げる機会も増えるので今すぐご相談してください。